金沢で秀吉ゆかりのスポットを巡る ―豊臣秀吉の盟友・前田利家が築いた金沢―

2026年に放送される大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)では、豊臣秀吉の弟・秀長を主人公に戦国時代の激動の物語が描かれます。この時代に豊臣政権の柱として活躍した武将、前田利家と金沢の深いつながりをご存知でしょうか? 


利家は、若き秀吉とともに戦場で腕を磨き、数々の合戦で功績を挙げた稀代の武将です。家族ぐるみで親密な関係にあり、秀吉を支え、時には助言しながら、豊臣政権の礎を築いた利家は、豊臣政権の時代を語る上で欠かせません。 


前田利家は秀吉から加賀・能登・越中の支配を任され、後に金沢城を拠点に加賀百万石の基盤を作りました。 つまり、現在の金沢のまちや文化の原点には、豊臣政権と利家の活躍が大きく関わっているのです。

 

今回は、地元でもなかなか知られていない秀吉ゆかりのスポットを、金沢観光に詳しい観光ボランティアガイド「まいどさん」から情報を集めました!
大河ドラマの「もう一つの舞台」である金沢で、二人の英雄の絆をみつけてみませんか?

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尾山神社

  • 尾山神社の鳥居と神門:神門は和漢洋を調和させた国指定重要文化財

  • 尾山神社拝殿

  • 秀吉から前田利家に贈られた備前焼「獅子型香炉」

  • 獅子型香炉

  • 獅子型香炉のある本殿の前庭は一般立ち入り禁止となっています。

  • 獅子型香炉は本殿の塀越しに覗くと見えます。尾山神社拝殿の右手奥にある力石のうしろあたり。

  • 塀の間から見える獅子型香炉

  • 尾山神社の境内にある前田利家公の像

  • お松の方の石碑

加賀藩の藩祖である前田利家公とその正室お松の方(芳春院)を主祭神として祀る神社です。国の重要文化財に指定されている「神門(しんもん)」は、和漢洋の三様式が融合し、最上階(三層目)にはギヤマンががはめ込まれているユニークな建築で知られています。


本殿御垣内の斎庭にある「獅子型香炉」は、獅子形古備前焼。高さ2尺4寸(80cm) 胴長3尺5寸(105cm)。14代藩主前田慶寧公より寄進されたもので、藩祖利家公が朝鮮の役で戦功を挙げた際、褒美に豊臣秀吉関白殿下から拝領したと伝わっています。
斎庭横の木塀の格子の隙間から見ることはできますが、近づいて見ることはできません。拝殿にあがっての参拝時には中から見ることができます。


尾山神社 石川県金沢市尾山町11-1 



金城樓

  • 中央の青い石が「不二石」

  • 不二石

  • 料亭「金城樓」外観

  • 旧前田対馬守庭園

料亭「金城樓」は、四季折々の加賀料理を、贅を尽くした空間と、行き届いたおもてなしで味わえる金沢で最も伝統ある料亭の一つです。
金城樓の庭園「旧前田対馬守庭園」にある「不二石」は太閤秀吉が愛でたという太閤七石の一つ。関西の名家から縁あって前田家に譲渡されたものと伝わっています。


金城樓 石川県金沢市橋場町2−23 

大蓮寺

  • 大蓮寺

  • 大蓮寺 入口

  • 宇喜多秀家と豪姫の供養塔

秀吉の養女となった利家とまつの娘「豪姫(ごうひめ)」の菩提寺。
豪姫は、生まれてすぐに、子がなかった豊臣秀吉とその妻であるおね(高台院)の養女となりました。秀吉は豪姫を寵愛し「豪姫が男なら関白にしたい」とまで言ったとか。
豪姫は、秀吉のもう一人の猶子である大名、宇喜多秀家と結婚。これにより、前田家は豊臣家と二重に親戚関係を結ぶことになりました。
宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いで、西軍の豊臣側に就き敗れ、八丈島に息子たちと遠島となります。豪姫は兄の利長を頼って金沢に。現在の黒門前緑地に屋敷を構え生活しますが、兄利長より化粧料として与えられていた1500石のほとんどを米や食料、衣料にして夫がいる八丈島に送りました。その様子をそばで見ていた永姫(利長室)も自らの化粧料を上乗せして八丈島に送りました。加賀藩から八丈島への仕送りは幕末まで引き継がれました。前田家が豊臣家への恩顧を忘れなかったことがわかります。

「大蓮寺」には宇喜多秀家と豪姫の供養塔があります。


大蓮寺 石川県金沢市野町2-1-14

西田家庭園「玉泉園」

宇喜多秀家が朝鮮出兵(文禄の役)の折に、連れ帰った朝鮮の貴族の少年を利長がひきとり、金沢で豪姫と利長の妻、お永の方が養育しました。少年は後に利長の家臣となり、脇田家に養子に入りし脇田直賢(なおかた)となりました。
西田家庭園「玉泉園」は脇田家初代直賢が造園を始め、四代九兵衛まで約100年を費やして完成しました。加賀藩歴代藩主が築いた「兼六園」の完成より約120年古い、江戸中期の作庭です。


西田家庭園「玉泉園」 石川県金沢市小将町8−3 

道入寺

  • 道入寺

  • 境内にある墓所の奥にある、北政所の叔父、木下家の墓

  • 木下家の墓と並んで祀られている酒屋家の墓

  • 妙玄院は、道入寺から徒歩5分ほどの場所にある

  • 妙玄院の入口のお地蔵様

秀吉の北政所の叔父にあたる人が祖父の菩提寺として建立した寺です。 利家が秀吉より加賀の地を受け、城下町を造り湊金石(宮腰)をも支配したとき、木下姓を名乗り移り住み、時代が徳川政権となり町人となって酒屋と名乗りました。
祖母の菩提寺「妙玄院」ともに現在も継承されています。
道入寺は、「飴買い幽霊(あめかいゆうれい)」の物語が伝えられていることで有名です。夜な夜な寺の近くの飴屋に現れ、一文の飴を買う女性の幽霊が、自分の墓の下で産み落とした赤ん坊を養育していたという、慈愛に満ちた伝説です。この赤ん坊は後に立派な僧になったと伝えられています。


道入寺 金沢市金石下寺町3丁目6−10

豊国神社

豊臣秀吉公を御祭神とする神社です。

その創建は、大坂の陣で豊臣家が滅亡した翌年の元和2年(1616年)にさかのぼります。加賀藩第3代藩主・前田利常公が、現在の卯辰山付近に位置する卯辰観音山に創祀し、「卯辰山王(うたつさんのう)」と称して、密かに秀吉公をお祀りしました。この頃は俗に「卯辰観音(うたつかんのん)」と呼ばれ、人々に親しまれていました。

藩政時代には、祭礼の際に藩主より神事能(しんじのう)が奉納される慣わしがありました。これは「観音院の御神事能」として知られ、多くの人々が群集する賑わいを見せていました。

明治時代に入ると、明治5年(1872年)に郷社に列せられ、その後、明治19年(1886年)に一度、殿町(現在の金沢市大手町)へと遷座しました。さらに明治40年(1907年)に現在の場所へ移転し、この時に村社であった卯辰神社(通称 卯辰山天満宮)を合併し、現在に至ります。


豊国神社  石川県金沢市東御影町93

小濱神社

  • 小濱神社

  • 718年創建。戦国時代、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が賤ヶ岳の戦いに際して戦勝祈願と宿泊をした記録があり、「羽柴」姓の古文書も残っています。また、末森城の戦いの後には前田利家が立ち寄り、槍を奉納したという記録もあります。北陸の歴史を大きく動かした二大合戦と秀吉と利家二人の武将が関わった、歴史的に重要な県内唯一のスポットです。

    小濱神社 石川県河北郡内灘町大根布3-157-1

高山右近

高山右近は、豊臣秀吉によるバテレン追放令(1587年)を受け、一度は追放の身となります。しかし、右近の卓越した人柄と才覚を見込んだ前田利家の招きにより、1588年加賀に移り、晩年の26年間を加賀藩で過ごしました。

加賀藩に仕官後、右近は金沢城の修築や高岡城の築城など、加賀藩の城郭整備に大きく貢献しました。また、茶道にも深い造詣を持ち、「利休七哲」の一人として加賀藩の茶の湯文化の発展にも寄与しました。金沢の町づくりにも深く関わり、その影響は現在でも金沢の街中に色濃く残っています。



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  • 尾山神社
  • 金城樓
  • 大蓮寺
  • 西田家庭園 玉泉園
  • 道入寺
  • 卯辰山三社
  • 小濱神社

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