金沢の金箔とは? 日本一の産地で体験する、400年受け継がれてきた美の技
金沢は、国内で生産される金箔の約99%を占める、日本最大の金箔産地です。
しかし、なぜ金沢で金箔づくりが根づき、今日まで受け継がれてきたのでしょうか。
その背景には、歴史の流れの中で磨かれてきた職人の技と、金沢ならではの自然環境、そして美や文化を大切に育ててきた人々の営みがあります。
それらが幾重にも重なり合い、金沢は「金箔の都」となりました。
メイン画像 ©石川県観光連盟
1. 地名に刻まれた「金」との縁
「金沢」という名は、兼六園のそばにある湧水地「金城霊沢(きんじょうれいたく)」に由来します。
かつて芋掘藤五郎がこの泉で芋を洗ったところ砂金が出たという伝説から、「金洗いの沢」 ー 転じて「金沢」と呼ばれるようになりました。この物語は、金沢という土地が古くから「金」と深い結びつきを持っていたことを物語っています。
2. 400年、技を守り続けた町
金沢の金箔づくりは戦国時代に始まります。
① 始まりは戦国時代(1593年〜)
加賀藩祖・前田利家が文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従って滞在していた肥前名護屋(現在の佐賀県)の陣中から、箔打ちを命じた記録が残っています。16世紀末には、すでにこの地で箔打ちが芽生えており、金箔づくりの原点がこの地に築かれていたことがわかります。
② 江戸時代の制約と、技を守る時代(1696年〜)
しかし、江戸時代、幕府は貨幣の材料となる金銀を厳格に管理するため、江戸・京都以外での製造を厳しく禁止しました。金沢でも箔打ちは公的には禁止され、一時衰退を余儀なくされました。
③ 転機となった金沢城再建(1808年〜)
転機は文化5年(1808年)。金沢城二の丸が焼失し、再建のため大量の金箔が必要となり、藩は幕府の許可を得て京都から職人を招きます。地元職人はその技を学び、さらに京都へ修行に出るなどして、失われかけていた技術を蓄積していきました。
④ 正式な製造許可と、飛躍の時代(1844年〜)
幕末、金沢の町人・能登屋左助は、江戸で作られた箔を金沢に運ぶ間に破損した箔の「打ち直し」を名目に、幕府に願い出るなど交渉を重ね、その結果、金沢城修復など藩の御用に限る条件ではあるものの、1864年、ついに公式に製造が許可されます。
⑤明治以降
そして明治以降、他地域が衰退する中、金沢の職人たちは技を磨き続け、名実ともに日本一の金箔産地となりました。
3.金箔を育てた「自然」という職人
金箔の厚さは、わずか 1/10,000ミリメートル。この極限の薄さは、技術だけでは生み出せません。
■理想的な自然環境: 金箔は極めて薄いため静電気に弱く、乾燥した環境では破れやすくなります。北陸特有の湿潤な気候は、箔が破れにくい理想的な環境でした。さらに、白山を源とする良質な水も、金箔づくりの支えとなりました。
■信仰の土壌: 「加賀一向一揆」でも知られる北陸では浄土真宗の信仰が広く根づいた土地柄から、寺院や仏壇の需要が安定し、金箔文化は生活の中で磨かれていきました。
金沢では、自然と信仰が金箔を育てた、ともいえるでしょう。
4.武家文化が磨いた美意識
金沢箔は国の伝統工芸品に指定されていますが、単独で発展してきた工芸ではありません。 加賀藩による手厚い振興のもと、他の工芸と響き合いながら磨かれてきました。
加賀藩3代藩主・前田利常は、藩専用の軍需品や工芸品を制作・修理する公式工房「御細工所(おさいくしょ)」を整備し、さらに、桃山文化を代表する高台寺蒔絵の巨匠・五十嵐道甫(どうほ)を京都から招きました。道甫が伝えた洗練された技法は、武家文化の力強さと王朝文化の優美さを融合させ、金沢独自の美意識を形づくりました。
日本が世界に誇る「加賀蒔絵(まきえ)」
加賀百万石の庇護のもと発展した「加賀蒔絵」は、非常に緻密で豪華な装飾が特徴です。
漆を産するアジア各地には様々な漆芸がありますが、漆で描いた文様に金粉や金箔を定着させる蒔絵は、日本で独自に高度な発展を遂げた世界に誇る技法です。金沢の緻密で豪華な蒔絵は、現在も茶道具や文箱にその息吹を伝えています。
工芸技術の集約「寺院・金沢仏壇」
金沢仏壇は、木彫・漆塗り・蒔絵・金箔の技が集約された存在です。内部を贅沢に金箔で覆うことで「仏の世界の光」を表現しており、まさに金沢工芸の総合芸術と言えます。
金沢では金箔は単なる装飾素材ではなく、
美意識そのものを表現する手段として育てられました。
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金箔の製造方法
1. 純金とわずかな銀と銅を合わせ、約1300度の高温で溶かし、合金をつくる。
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2. ロール圧延機で何度もローラーがけをし、約20分の1mm程度までの薄さに延ばす。
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3. 5cm角に小さく切って、紙に挟み、何百回も打ちのばし、10,000分の1mmまでの薄さに延ばす
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4. 一時保管用冊子に1枚1枚挟み替える
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5. 製品用に切る
①「縁付金箔」:ユネスコ無形文化遺産、箔打紙に手漉きの和紙を使用、金箔を1枚ずつ枠(竹製の刀)で規定の大きさに切り、金箔より少し大きな紙にはさむ
②「断切金箔」:箔打紙にグラシン紙を使用、切る前に紙の間に挟み、最後に金箔と紙を規定の大きさにまとめて切る
「縁付金箔」は、和紙の表情を持つ落ちついた金箔となり、断切金箔と比較して金箔の厚みが薄いため金箔を貼った時に金箔と金箔の境がわかりにくいのが特長です。「断切金箔」は、工程が簡略化されているため、縁付金箔と比較して安くお買い求めいただけます。機械漉きのグラシン紙の打紙なので品質が安定しているという特徴があります。

5. 全国の名建築を支える金沢箔
金沢で生まれた金箔は、全国の名建築にも用いられています。
鹿苑寺金閣(舎利殿)(京都)
「金閣寺」との名称で世界的にも人気の舎利殿には、約20万枚の金沢箔が使用されています。
日光東照宮・陽明門(栃木)
陽明門は、徳川家康を祀る日光東照宮の中でも最も装飾性が高い門で、500体以上の彫刻と、極彩色・金装飾が施された建築として知られ、「日暮門」の別名があるほど、見飽きることのない意匠が特徴です。
陽明門の金箔は、平面ではなく、「彫刻の凹凸」「細かな文様」「曲面や入り組んだ部分」に施されています。極めて薄く、しなやかで、破れにくい金沢箔だからこそ、彫刻の凹凸や複雑な曲面にも均一に定着します。
中尊寺金色堂(岩手)
中尊寺金色堂は、12世紀(1124年)に奥州藤原氏初代・藤原清衡によって建立された阿弥陀堂で、内外に金箔や螺鈿を施した、日本を代表する仏堂建築です。
ここでも金沢の金箔が使用されています。
日本の美を支える技は、今も金沢から生まれています。
こうして金沢の金箔は、目に見える建築だけでなく、日本の美意識そのものを支えてきました。
6. だからこそ、金沢で体験する意味がある
ここまで読んでいただくと、気づかれるかもしれません。
金沢は「金箔を作っている町」ではなく、
金箔文化を育て続けている町なのです。
だからこそ、金沢での体験は単なるワークショップではありません。
それは、400年続く技の延長線上に自ら触れる時間です。
7.金沢でできる金箔体験(知る・作る・飾る・直す)
金沢では、金箔の製造から活用まで幅広く体感できます。
◆金箔の歴史を学ぶ「安江金箔工芸館」
「1万分の1の世界へ、ようこそ」。
箔職人が使用した道具、科学の目で見た金箔の解説、映像コーナー、所蔵品などの展示をとおして1万分の1ミリの世界を学びます。
◆金箔製造工程を見学「箔一 産業観光」
金の延べ棒を合金し、限界まで打ち延ばして1/10,000ミリメートルの薄さにする職人の技を間近に見学できます。
◆極薄の金箔を切りそろえる職人技を間近で見られる「金銀箔工芸さくだ」
ひがし茶屋街から徒歩3分。金箔工房では、金箔ができるまでの工程をわかりやすく紹介しています。
金箔についての知識を深められるほか、普段はなかなか目にすることのない、職人による最終工程「箔移し」の作業を間近で見学できます。
◆金箔貼り体験
金沢で製造された金箔を使い、箸や小箱などに自分だけのデザインで装飾を施します。
それは単なる制作体験ではなく、長い時間をかけて磨かれてきた技術の一端に、自らが参加する瞬間です。
各種プランは下記「金箔貼り体験」からご覧ください。
◆金継ぎ体験
割れた器を漆で修復し、傷跡を金箔で彩る伝統技法。
「直して使い続ける」という日本の美意識に触れられます。
八木工房:加賀市の金継ぎ工房です 金沢での出張金継ぎも可能です。
金沢の金箔は、単なる豪華な装飾素材ではありません。
歴史・自然・信仰・武家文化が重なり合って生まれた文化の結晶です。
金沢を訪れた際は、ぜひその手で黄金の薄さと、その背景にある時間の重みを感じてみてください。
金沢での金箔体験は、“作る”こと以上に、文化の物語に参加する時間なのかもしれません。
紹介したスポットをマップで見る
- 金城霊澤
- 能作 漆器店
- 金沢市立安江金箔工芸館
- 金箔屋さくだ 本店
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