金沢の街づくりの歩みを学ぶ ~歴史を「守る」ことが、未来を「創る」ことへ~
石川県の県庁所在地・金沢市は、人口約46万人(2025年現在)の地方都市です。
江戸時代の城下町の姿が現代まで息づき、日本のなかでも際立った個性を持つ都市として、国内外から注目を集めています。
なぜ金沢は、これほど豊かな歴史的景観を保ち続けられたのでしょうか。
そしてそれは、「たまたま残った」のでしょうか。
答えはノーです。
そこには、人々の意志と、先見性ある取り組みの歴史がありました。
「壊れなかった街」から「守り続ける街」へ
金沢は江戸時代、加賀藩・前田家の城下町として栄えました。
石高(こくだか)が百万石を誇ったことから「加賀百万石」と呼ばれ、江戸・大阪に次ぐ規模の都市文化を花開かせた場所です。
幸運だったのは、第二次世界大戦の空襲を免れ、大規模な自然災害も少なかったこと。その結果、兼六園や金沢城はもちろん、江戸・明治・大正・昭和それぞれの時代の建造物が、今も「現役」として街のなかに息づいています。
また、前田家が武力よりも学問・工芸・芸能への投資を重んじたことも、金沢の文化的土壌を深く耕しました。茶道・能楽・加賀友禅・九谷焼といった伝統文化が今日まで受け継がれているのは、その蓄積があってこそです。
しかし「壊れなかった」だけでは、ここまでの景観は守れませんでした。
本当の意味で金沢の個性を守ることになったのは、一つの「危機」がきっかけでした。
街の「健康診断」が転機をもたらした——1967年「金沢診断」
高度経済成長期の日本では、全国各地で古い建物が次々に取り壊され、近代的なビルへと建て替えられていきました。皮肉なことに、金沢ではその流れが独特の形で押し寄せました。戦災を免れたがゆえに古い町並みが残っていたことは、当時の市民の目には「近代化に乗り遅れた街」と映ることもあったのです。「他の都市がどんどん新しくなっているのに」という焦りが、むしろ開発を急ぐ機運を生み出していました。
城下町の面影を残す町家や路地を取り壊してビルを建てようとする動きが現実のものとなる一方、「この街の何かが失われていく」という感覚を拭えない市民もいました。
開発か保存か——
その葛藤の中で、1967年、一つの画期的な取り組みが行われます。
「金沢診断」です。
これは、金沢出身の世界的建築家・谷口吉郎氏を中心に、日本画の巨匠・東山魁夷氏ら有識者たちが、実際に街を歩きながら「この街のどこに価値があるのか」を見極めた取り組みです。
まるで医師が患者を診るように、金沢という街を患者に見立てて、街の個性と課題を丁寧に「診断」したことから、こう呼ばれています。
その結論は明快でした。
「金沢のまちは日本の貴重な文化遺産である」
「開発と保存の両立は可能である。古いものを守ることをコストとみなすのではなく、金沢の最大の資産として活かしていくべき。」
この提言は、街づくりの発想を根本から転換するものでした。
さらに、地元企業の経営者たちも「開発一辺倒の街づくり」に疑問を呈し、市民レベルの機運が大きなうねりとなっていきました。
谷口吉郎の「金沢診断」
日本初!「景観を守る条例(ルール)」の誕生
「金沢診断」の精神は、翌1968年、具体的なルールへと結実します。
金沢市は全国に先駆けて「伝統環境保存条例」を制定——これは日本初の景観条例とされています。
条例は歴史的な町並みを守ることに特化したものでしたが、金沢の街づくりの理念はそれだけにとどまりません。「守るところと開発するところをきちっと区分けする」という考え方が根幹にあり、保存エリアと開発エリアを明確に分けることで、金沢独自の都市景観が形成されていきました。
その後、条例は1989年に保存と景観形成を両輪とした内容に発展し、2009年には景観法を踏まえた「金沢市における美しい景観のまちづくりに関する条例」として現在の形になっています。
その後も金沢の取り組みは多岐にわたっています。
【保存の多角的な取り組み】金沢が守っているのは、建物だけではありません。
・景観条例:街全体の景観を総合的に守り育てる基本ルール
・こまちなみ保存条例:地域特有の細い路地や町並みの雰囲気を守る
・水と緑の保全:街なかを流れる美しい用水路や、緑豊かな崖地を保全する
・技術の継承:伝統建築を修理できる職人を育成するため「金沢職人大学校」
・「金澤町家」の保全と活用:古い町家をカフェやオフィスとして再生し、現代の生活と融合させる
建物だけでなく、路地・水・緑・技術・生活文化まで、街を構成するあらゆる要素を視野に入れた総合的な取り組みが、今日の金沢をかたちづくっています。
街を未来へつなぐ——金沢という一つの事例から
金沢の街づくりを知ることは、現代の「持続可能な社会(SDGs)」を考える一つのヒントになるのかもしれません。
■「古いもの」は、本当に発展の障害なのでしょうか?
金沢は、歴史的な景観こそが最大の資産となり得ることを、長い年月をかけて証明してきました。画一的ではない「個性」のある街は、人を引き寄せ、住民の誇りを育て、結果として経済をも動かす原動力となります。
■住民の意志が街を変える
「金沢診断」も景観条例の制定も、決して行政だけの力ではありません。市民、文化人、経済人が対話を重ね、一体となって動いた結果です。「自分たちの街をどうしたいか」という一人ひとりの意志の力が、今の制度を形作ってきたといっても過言ではありません。
■「守る」ことと「創る」ことは、対立するものなのでしょうか。
古い建物をカフェとして再生し、職人の伝統技術を次世代へと繋ぎながら、現代に即した新たな価値を見出していく。金沢の歩みは、保存と創造がけっして矛盾せず、むしろ「両輪」であることを教えてくれています。
もちろん、金沢のやり方がすべての正解というわけではないでしょう。しかし、地域の個性をどう未来へつなぐかという、世界中の都市が直面する問いへの、一つのささやかな「答え」にはなり得るはずです。
歴史を単なる「重荷」ではなく「宝」として受け継ごうとした人々の選択。その積み重ねが、半世紀以上を経た今も、金沢という街を静かに輝かせ続けているのではないでしょうか。