おすすめコンテンツ

Home > おすすめコンテンツ > 5分でわかる金沢の魅力  > 歴史・風土 > 加賀藩・前田家

5分でわかる金沢の魅力

歴史・風土れきし・ふうど

歴史・風土 「利家とまつ」のお膝元 加賀藩・前田家

加賀藩・前田家
加賀藩の藩祖前田利家が金沢に入城したのは1583年のこと。金沢は初代利家から明治の廃藩置県にいたるまで加賀藩前田家十四代の城下町として発展しました。三代藩主利常の奥方に二代将軍徳川秀忠の娘、珠姫を迎えたのをはじめ、代々の藩主は徳川将軍家との結びつきを深め、百万石の大藩を維持してきました。
前田家系図を見る
  • 金沢城公園
    金沢城公園 前田利家の居城跡。平成13年に菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が伝統的な木造軸組工法で復元された。
    詳細情報を見る
    金沢城公園かなざわじょうこうえん

    金沢城は一向一揆の拠点であった金沢御堂の場所に織田信長の家臣佐久間盛政が築いた城がはじまり。3年後に金沢に入城した前田利家によって本格的な城造りがスタートし、加賀百万石の礎が築かれます。
    城跡は明治以降、陸軍の拠点として、戦後は金沢大学のキャンパスとして利用されましたが、現在は「金沢城公園」として整備、公開されています。藩政時代の建物は、石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫などわずかですが、2001年に伝統的な工法を用いて菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が再建されたのをはじめ、現在も復元整備が進んでいます。公園内は金沢城の特徴である美しい石垣などを眺めながら、自由に散策が楽しめます。

  • 兼六園
    兼六園 水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の1つで、池泉回遊式庭園の大名庭園。国の特別名勝に指定されている。
    詳細情報を見る
    兼六園けんろくえん

    金沢城公園と堀を埋めてつくられた道路を挟んで向かい側に広がるのが「特別名勝 兼六園」です。兼六園の歴史は五代藩主前田綱紀が城に面した斜面に造った蓮池庭(れんちてい)にはじまります。その後、代々の藩主によって広大な庭園が整備され、現在の兼六園に近い形ができたのは幕末に近い、十三代藩主斉泰の時代です。
    兼六園の名は、兼ねることが難しい対照的な6つの庭園美、宏大と幽邃(ゆうすい)、人力と蒼古、水泉と眺望を兼ね備える名園という意味で、白河藩主松平定信により名付けられました。霞ヶ池周辺の明るく開放的な雰囲気と黄門橋あたりの山峡に迷いこんだような風情、人の手が尽くされていながらも自然の豊かさを感じさせる造形、そして兼六園最大の特徴とも言われる水の流れと日本海や医王山の山並みまで望むことができる眺望など、その名にふさわしい多彩な表情が兼六園の魅力です。

  • 天徳院
    天徳院 曹洞宗の寺院で1623年に三代藩主利常が妻・珠姫のため創建。1768年に多くの講堂が焼失、翌年に再建され現在に至る。
    詳細情報を見る
    天徳院てんとくいん

    兼六園から車で約10分、小立野台の天徳院は、三代藩主前田利常の妻として、徳川将軍家より嫁いできた珠姫の菩提寺です。珠姫はわずか3歳で金沢へ入り、14歳で利常と結婚、7人の子をもうけながら24歳の若さでなくなりました。天徳院は金沢城下最大の規模をもつ寺院で、二層建ての重厚な山門がひときわ目をひきます。中では、からくり人形による「珠姫・天徳院物語」が上演されています。

  • 成巽閣
    成巽閣 十三代藩主斉泰が母・真竜院のために建立。書院造りと、数寄屋の2つの様式からなる。国の重要文化財に指定。
    詳細情報を見る
    成巽閣せいそんかく

    兼六園に隣接した成巽閣は、十三代藩主斉泰が、父の十二代藩主斉広の正室・真龍院のためにつくった隠居所です。当時は城の辰巳(東南)の方角にあったことなどから巽御殿(たつみごてん)と呼ばれていましたが、明治に入って兼六園が一般開放されたとき、「成巽閣」と称するようになりました。1階は武家書院造、2階は数奇屋風書院造と、一つの棟に2つの様式が巧みに組み込まれた建物で、柱が1本もない2縁側や、障子腰板に描かれた絵、ギヤマンをはめ込んだ雪見障子、鮮やかな色壁などに大名家の女性の邸宅の優美さが感じられます。季節ごとに前田家伝来の衣裳や道具なども公開しており、見ごたえがあります。

  • 尾山神社
    尾山神社 藩祖・前田利家をまつる。五彩のギヤマンがはめ込まれた神門は全国でも珍しい和洋折衷様式。重要文化財に指定されている。
    詳細情報を見る
    尾山神社おやまじんじゃ

    金沢城公園からもほど近い尾山神社は、初代藩主利家と正室のおまつの方を祀る神社です。利家の子で二代藩主利長が卯辰山に祀ったものを明治に入ってから旧藩の氏族たちによって現在地に移されました。国の重要文化財に指定されている和洋折衷の神門は最上階に五彩のギヤマンが輝き、エキゾチックな美しさが見られます。造られた当時は金石港に出入りする船の灯台代わりにもなったともいわれます。
    境内には、城の西側にあった金谷御殿の庭園の一部が残っており、琴や琵琶など楽器をかたどった島や橋が配されています。

  • 野田山
    前田家墓所 野田山の前田家墓所には利家以来の歴代藩主と正室、親族など約70基の墓があり、前田家の聖地となっている。
    詳細情報を見る
    野田山のだやま

    野田山は金沢城の南に位置し、藩祖利家公をはじめ前田家の歴代藩主が葬られている山頂から城下全体が見渡せます。利家とまつ(芳春院)の墓は石柱の墓標に塚という簡素なものですが、生前の二人の関係を表すように並び建っています。 四代藩主光高の時代に野田山での遊山・放牧・殺生が禁止され、前田家の聖地となりました。一帯は高野山にも似た荘厳な雰囲気が漂っています。

  • 尾崎神社
    尾崎神社 かつては東照宮や権現堂と呼ばれていた尾崎神社。本殿・拝殿をはじめ建物は国指定の重要文化財。
    詳細情報を見る
    尾崎神社おざきじんじゃ

    四代藩主光高が日光東照宮から分霊して徳川家康・前田三代利常などを祀り、金沢城内北の丸に建立されました。利常は徳川秀忠の娘珠姫を妻とし家康の義理の孫にあたり、光高自身も徳川家光の養女大姫を妻に迎えています。尾崎神社はこのような前田家と徳川家の結びつきを現す社として藩の庇護を受けてきました。明治に入り社名を改め現在の場所に移転しています。

back

ページトップへ