安宅彌吉頌徳碑

あたかやきちしょうとくひ

安宅彌吉(明治6年(1873)~昭和24年(1949))は金沢市上金石町生まれで、少年時代、同じ金石生まれで幕末に活躍した大商人・銭屋五兵衛の伝記を読み、自分もいつの日か銭五のような大商人になりたいと思うようになりました。16歳のときに上京した彌吉は、東京商業専門学校(現・一橋大学)に学び、19歳の頃からは本郷西片町の石川県出身の学生のための寄宿舎久徴館(きゅうちょうかん)に在館しました。ここで宗教哲学者・鈴木大拙と出会い、彼に連れられて鎌倉の円覚寺に参禅に行き、そこで鈴木大拙への資金援助を約束したといわれています。事実、彌吉は生涯にわたって、大拙に対しての出版資金や松ヶ岡文庫建設などの援助を惜しみませんでした。安宅彌吉は安宅商会(のちの安宅産業)を興すなど、貿易商として大成功をおさめ、大阪商工会議所の会頭も務めました。さらに、甲南高等女学校の設立や郷土の青年たちへの奨学金(安宅育英資金)など、教育や地域貢献にも力を尽くした人物です。

この頌徳碑は、昭和32年に大野湊神社前の500坪の土地を公園化して整備して建てられました。当時の金沢美術工芸大学長・森田亀之助の設計による高さ6.6メートルの三角形塔状の碑で、岡山桜御影石を基礎とし、茨城稲田御影石、福島黒御影石を配し、安宅翁の胸像をはめこんだ造りになっています。


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基本情報

住所
石川県金沢市寺中町ハ163番地(大野湊神社敷地内)

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